金峯山寺長臈の田中利典さんと人類学者の植島啓司さんの対談を聞く機会があったのですが、そこで違った視点からの「運動」というお話がとても興味深かったので書かせていただきます。
まず田中さんが語られていたのは「運」というものは「動」より生ずるものである。それ故に「運動」なのであると語られておりました。「運」というものを掴もうと思ったら自分の身体を動かしていく事によって(移動なども含む)現在の自分を変化させる事により物事も変化させていくと。
そこに植島さんが相槌を打つように「運というものは他人が持ってくるものだからどれだけ友人がいるかというのが勝負」と言いきっています。5人の友人がいればその5人の友人も友人達を持っているわけですね。その広がりきった友人の多さで幸福度を図るという研究などもあるようです。
2人が共通して言われているのは、動かなければ何も起こらないし、良運も得られないとう事でした。
やはりここでもキーワードは誰かとの「接続」だと感じました。